Vol7 春祭りの幕開け 幸崎町能地春祭り

幸崎町能地で行われる 「ふとんだんじり」は、神童と呼ばれる男の子が叩く太鼓と、元気な掛け声、だんじり同士が組み合う迫力が知られるお祭りです。
この「ふとんだんじり」と2週間前にある神明祭とを合わせて春祭りと呼ばれています。

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神明祭は、世話役である当家(とうや)が1年間務めた最終日でもあります。この日に「でこ」と呼ばれる人形とその年の干支の置き物を藁などで作って、その日までの当家の家の一部屋に飾ります。昔は、小正月にとんどを作っていたものに、伊勢信仰である神明祭が合わさり、人形を飾るようになったと言われています。能地には伊勢神宮を祀る神社はありませんが、祭りの形として神明祭りは残っ て、継承されてきました。数十年前には、子どもたちが小さなとんどを作って、道端に飾り、お参りに来た人たちからお小遣いをもらっていたこともあるそうです。

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江戸時代から、能地では春に名替(ながえ)祭りという男の子の成人を祝う行事がありました。そこに、漁師たちが漁に出た先の各地域で見聞きしてきた祭りをもとに、楽車(だんじり)を使い、よ り賑やかにしようと作りあげていったのが今の形の「ふとんだんじり」となりました。
1丁目から4丁目それぞれに楽車がありますが、そのうちの1台は、大崎上島から譲り受けたものです。

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各楽車に乗る男の子は神童と呼ばれ、青年会の指導のもと、獅子太鼓を練習します。打ち手は三十八通りありますがすべて覚えて、2日間の春祭りの中で10回以上披露します。
祭りの華である神童を担う子どもたちも、少子化で少なくなってきています。獅子太鼓は伝統行事として小中学校でもクラブ活動として受け継がれていくようになりました。

戦時中でさえもどうにか続けてきた祭りですが、コロナ禍で2年連続で中止になり、打ち手の子ども達も忘れていってしまわないか心配もあるそうです。

浦和さん

幸崎神社宮司の浦 和典さんは、「良き伝統として、地域に伝わってきた行事。青年会から子どもたちへ伝えられたりと地域の人々の繋がりになっている。今後もつたえていきたい。」と話してくれました。

あとがき
これを書いている槙田は、長野県の出身で、祭りといえばお神輿!というイメージを持っています。取材へ向かった時、「楽車」という字を見ても「だんじり」とは読めませんでしたし、実は神輿との違いも分かりませんでした。調べると、楽車は西日本特有の山車(だし)の呼び方なのだそうです。楽車についての知識も得て、浦さんの「漁師は派手好きなんですよ」の言葉をお聴きして、ますます幸崎町能地の「ふとんだんじり」や「神明祭」を見てみたくなりました。来年こそは開催できることを、願っています。

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