見出し画像

母親から受け継いだ三味線で、三原の伝統文化を次世代へ


この記事は、2021年10月取材時点での情報です


【幸せづくり】
三原やっさ踊り振興協議会
小林民子(こばやし たみこ)さん

三原といえば、やっさ! 毎年、8月に開催される「三原やっさ祭り」は、中国地方を代表する夏祭りとして賑わいを見せます。祭りで披露されるのが、三原の伝統的な踊り「やっさ踊り」です。その歴史は古く、約450年前の1567年、戦国武将の小早川隆景が三原城を築城した際に、三味線や太鼓を鳴らし、思い思いに歌を歌いながら踊って祝ったのが始まりと言われています。
そんな三原の宝である「やっさ踊り」を大切にし、次世代に継承していく「三原やっさ踊り振興協議会」で活躍する、小林民子さんを訪ねました。

やっさ踊りが披露される「三原やっさ祭り」は、三原の夏を彩る大切な祭りだ


15歳で三味線の世界へ。自分の弾く三味線で踊ってくれる喜び

やっさ踊りの華やかな衣装で出迎えてくれた小林さん。「私は根っからの三原っ子。70年前に三原市本町に生まれて、母がやっさの三味線を弾いていてね……」と、昔を振り返りながら話してくれました。

小林さんが14歳の時に母親が亡くなり、翌年の初盆供養の席で、母親を偲んで三味線仲間の人たちが仏前で三味線を弾いてくれました。その際に「民ちゃんも弾きんさい」と言われ、三味線を弾くことに。当時ギターを習っていた小林さん、音感はあったものの三味線を引くのは初めてでした。

しかし、幼い頃から耳にしていた三味線の音色が、自然と体に刷り込まれていたのか、周りとうまく合わせることができ、「こうやってお母さんがやってきたことをやるんよ」と背中を押されて三味線を受け継ぐことになりました。

「三味線の世界は入り込めば入り込むほど楽しくて。自分の弾く三味線でみんなが踊ってくれるのも大きな喜びでした」と戸惑いはなかったそう

15歳で三味線の世界に飛び込んだ小林さんでしたが、当時は楽譜などもなく、手習いといって先生の”手”を見て弾き方を覚える時代。小林さんも、名だたるいろいろな先生から手習いで指導を受けてきました。

やっさ踊りの楽譜ができたのは、小林さんが40歳ぐらいの時とのこと。それまでは小林さんをはじめ、三味線も太鼓もみな手習いで習っていた


厳しさの中に愛情あり! 30年で1000人以上を指導

小林さんは40代前半、三原市役所からの依頼を受け、「やっさ地方(じかた)教室」で三味線の指導を担当するようになります。

「一時は三味線弾きがいなくなり、テープをかけて踊る時代もあったので、一歩進んだと、とてもうれしかったです」。それから約30年、小林さんが教えた生徒は延べ1000人を超えるそうです。やっさ踊りを未来に継承していくため、子ども達の指導にも力を注ぐ小林さん。

毎年「三原やっさ祭り」が近づくと市内各所で開催される「やっさ踊り教室」や「地方(じかた)教室の講師として市内の小学校に出向いて、踊りと三味線を教えています。心掛けているのは、子ども達と対等に接すること。「子どもだからといって、甘やかさない。でも、できた時は『すごいねー!』としっかり褒める。そうすると、達成感が得られ、自信になるんです。普段厳しいから、褒められるとすごく喜んでくれます」。

教えている子ども達が、三原の郷土芸能『やっさ』を体験することで、郷土に興味や関心を持ち、実践することで達成感を味わってもらいたいと小林さんは考えています。「三原の郷土の文化に誇りを持ってもらいたい。何と言ってもこれからの三原の文化を支えるのは子ども達ですから」と顔をほころばせます。

※地方(じかた)・・・唄、三味線、太鼓など

厳しい指導は、子ども達に期待しているから。やっさにも子どもにも愛情をたっぷり注いでいるのが伝わる

やっさ踊りを継承していくうえで、心掛けていることはありますか?と小林さんに尋ねると、「昔のままの正調を大切にしています。テープではなく、必ず唄・三味線・太鼓など地方の生演奏が付いているのがモットー。踊りと地方、両方そろっていることは譲れないですね」。やっさを大切に受け継いでいこうという小林さんの熱意を感じました。

※正調…伝統を受け継いだ正しい流派。民謡などで伝統的に受け継がれてきた歌い方、踊り方



やっさを通じて出会った人とのつながりが大切な財産

小林さんが所属する「三原やっさ踊り振興協議会」では、お互いの技量を高めるための研修を行うほか、毎年開催する「やっさ教室」「やっさ地方教室」をはじめ、生涯学習や出前講座などで、学校や職場、各団体へ出向き、踊りと地方の指導を行なっています。

発足以来約50年に渡り、大阪万博展覧会、アメリカ建国200年祭、広島アジア大会、国民文化祭など数多くのイベントに出演し、三原やっさ踊りをPRしてきた

改めてやっさ踊りの魅力について聞くと、「楽しくて、元気が出て、誰とでも仲良くなれるところ。三原の人はやっさの音色を聞くと、自然に体が踊りだすんですよ」と小林さん。

これまで全国各地の大会やイベントに参加してきましたが、どこへ行っても三味線を弾き始めると、みんなが踊りだすそうです。「やりだせ、それだせ~」「いこうぜ、いこうぜ~」といったかけ声が、さらに場を盛り立てます。外国人からは「yassa dance!」と声がかかることも。やっさの楽しいリズムは世界共通のようです。

14歳から70歳まで、人生の三分の二以上をやっさ踊りと共に歩んできた小林さん。「やっさを通じて出会った人とのつながりは、お金では買えない大切な財産です。何もわからないところから始めた三味線だったのに、今では教える立場になりました。一人でできることじゃないので、三原やっさ踊り振興協議会のみんなには、すごく感謝しています。感謝しているからこそ、やっさ踊りの伝統を守っていきたいと強く思います」。熱く話すその姿に、小林さんのやっさへの思いが三原の伝統文化の継承を支えていることが強く感じられます。

小林さんのやっさ人生は、まだまだ続いていきそうです!


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!