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創作にかける一途な想いを、一本一本の白い線に託して活動拠点は故郷へ。アートに理想を求め挑戦は続いていく

三原市公式note

この記事は、2022年1月取材時点での情報です


【幸せづくり】
岡本博実(おかもと ひろみ)

「自然のひかり」をモチーフに、数千から数万本の白い線で緻密に表現された油彩画は、画家・岡本博実さんのアート作品。無限の空間へといざなう画面からは、岡本さんの繊細で豊かな想像力と創作への挑戦が伝わってきます。

日本の抽象美術の代表的な団体「モダンアート協会」に所属し、三原市で数々の独創的な作品を生み出す岡本さんのアトリエを訪ね、お話を伺いしました。


苅山邦夫先生との出会い。油彩画の世界へ

三原市で生まれた岡本さんは、幼少の頃から図画工作やものづくりが好きな子どもでした。近所で木や竹を取ってきて小刀で削り竹とんぼやひこうきを作ったり、建具屋だった親戚の家に行き、襖や障子を作る様子をよく見ていたそうです。

中学生になると美術部に入部。そこで運命の出会いが訪れました。美術の先生で、美術部の顧問もしていた苅山邦夫先生との出会いです。「先生の油彩画が大好きで、ものすごく憧れていました。その先生から、僕が初めて描いた石膏デッサンをえらい褒めてもらえて。それで僕って上手いのかも、って思っちゃったんです(笑)」。

苅山先生の影響で油彩画に興味を持った岡本さんは、油絵の具セットを買い、油彩画を描くようになります。中学2年になった時、先生は他校へ異動になったため、指導は1年間しか受けられなかったそうですが、油彩画を人から教わったのは後にも先にも苅山先生だけでした。

今も実家に飾られている高校時代の岡本さんの作品。三原・中之町にかつてあった採石場を描き、県美術展に入選した

岡本さんが中学2年生の時、東京オリンピックが開催され、世の中に“デザイン”という言葉が浸透していきます。建築、ピクトグラム、ポスターといったさまざまなデザインが注目を集めました。

そんな社会状況の中、デザイナーにあこがれを抱き、絵画ではなく、デザインの道へ進むことを決めます。高校2~3年生の時に大学受験のためにデッサンや色彩構成を勉強、その指導をお願いしたのが中学時代の恩師・苅山先生でした。

先生の作品集。大学生の時も、社会人になった後も、帰省した際には先生の自宅にお邪魔するなど、付き合いは深かったそう


工業デザイナーとして活躍する傍ら、油彩画では自分の作風を模索

大阪芸術大学では、インダストリアルデザインを専攻した岡本さん。卒業後は関東の電機メーカーに入社し、AV(オーディオビジュアル)やノートパソコンなど工業製品のデザインを業務とします。

グッドデザイン賞を受賞したり、世界の電機商品が集まるショーに出品し、イノベーションアワードを受賞したりと、日本のみならず世界からも認められるものを生み出してきました。工業デザイナーとして会社員生活を送る中、傍ら油彩画も描き続けていました。

「やっぱり絵が好きで。本当は大学時代も描きたかったけれど、デザインの勉強に専念するため封印していたんです。20~30代の頃は風景や人物など具象画を描いていましたが、40歳を過ぎた頃からだんだんと抽象画へと変わっていきました」。

きっかけは41歳の時。仕事でアメリカへ渡った岡本さんは、ニューヨークのSOHO(ソーホー)で衝撃を受けます。「見る作品すべてが個性的で、作家の意思が感じられるものばかり。何でもありの世界でした。それに比べて自分の絵は、どこかで見たことのあるつまんない絵だなと。それからは、悪あがきの10年。何か変えようと必死でチャレンジするけれど何か違うの繰り返しで、毎年のように作風が変わっていきました」。

※SOHO・・・ニューヨーク市マンハッタン区ダウンタウンにある地域。かつては芸術家やデザイナーが多く住んでいた街

10年もの試行錯誤の末、現在の作風に辿り着いたのは、50歳を過ぎた頃だった


「生まれ育った三原に貢献したい」と精力的に活動

22歳から関東で暮らしていた岡本さんですが、生まれ育った三原の町や実家の居心地の良さが忘れられず、いずれは帰郷したいと考えていたそう。そして2009年、58歳で会社を早期退職し、奥様と一緒に三原へ帰ってきます。帰郷された際「すごい作家が三原に帰ってきた!」と、市関係者の間で話題になったそう。

それからは、知り合いの方や紹介などから、市民ギャラリーで個展を開催したり、市美展の審査員をしたり、小学校の校章デザインのための指導と補作や市のナンバープレートの審査、小学校のイラストクラブの指導を行うなど大活躍。現在も三原市内4ヵ所で行われている絵画教室で講師をするなど、多忙な毎日を送られています。

「僕が三原へ帰ってきた時、苅山先生の奥様をはじめ、たくさんの方が喜んでくださいました。絵やデザインに関係する方々を紹介してくださり、人脈も広がり、大変お世話になったんです。でも自分はまだ、生まれ育った三原に何も貢献できていません。僕のできることなら何でもやりたいんです」と精力的に活動する思いを話してくれました。

2012年には、市が企画した「新藤兼人展」に、映画『裸の島』のワンシーンを切り取り再構成した作品を出品した

※『裸の島』・・・1960年11月23日公開の日本映画。監督・脚本・製作は新藤兼人。三原市の宿禰島(すくねじま)で撮影され、モスクワ国際映画祭グランプリを始め、数々の国際映画祭で受賞

アトリエに並んだ作品群。気まぐれに描いた自画像も並ぶ

取材の最後に、制作の様子を見せていただきました。ベースとなる色を塗った上に、ランダムにたくさんの白い線を描き、その上に別の色を重ね、白い線を描き、また別の色を重ねて……という時間も手間もかかる作業を繰り返していきます。色を重ねる度に複雑な色合いになり、鏡面のようにツヤが出てきます。白い線は1mm以下の細さで、すべてフリーハンドで描かれています。

S100号(162cm×162cm)のキャンバスに制作中の大きな絵は、2022年4月に東京で開催されるモダンアート展に出品する作品

「白い線で描くという、自分のオリジナルにやっと辿り着き、それをベースに、もっと新しいことができるんじゃないかと考え、最近はキャンバスに穴を開けて本物の光を取り入れたり。『これをやってみたらどうだろう?』の繰り返しで、日々実験をしている感じです」と岡本さん。絵画への飽くなき探求心を持ち、ひたすら筆を動かしている岡本さんの、今後の作品がどのように進化していくのか、とても楽しみです。

岡本さんの近作「O氏の交響曲」。音符を光で表現した作品


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