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「天からの贈り物」をブランド化、父子二代で独自品種の桃作り


この記事は、2019年9月時点での情報です


【食づくり】
阿部農園
阿部雅昭(あべ まさあき) さん

標高の高い大和町で始めた桃作りは試行錯誤の日々でした。そんなあるとき、傷んだ桃を捨てていた場所から苗が生えているのを発見。調査したところ、新種であることが判明します。

「阿部白桃」と名付けられたこの桃は今までにない大きさと、硬さはあるものの美しい果肉や珍しい食味であることから注目を浴びます。

販売方法など独自に工夫を重ねながら、阿部農園を代表するブランド桃に成長。その一方で、農園の安定経営を考え「阿部水蜜」というもうひとつのオリジナル品種も開発。阿部さんの探求心、研究熱心な姿勢が三原に新しい桃を生みました。

 

試行錯誤の桃作りと諦めない気持ちが生んだオリジナル品種

もともとは、米作りの専業農家だった阿部農園。桃作りを始めたのは、水稲栽培の機械化で作業時間は短縮したもののコストがかかるようになり、代替作物を考え始めたのがきっかけでした。

何にするか悩んでいたところ、長野県で農業の技術開発に携わっていた身内の一人から「桃はどうだろう」とアイデアをもらったという

「隣県の岡山よりも良いものを早く出せたら、成功するかもしれない」

そこから阿部農園の桃作りがスタートしました。

まず取り組んだのは、7月に出荷できる品種。ところが梅雨の長雨にあたり、糖度が低く良い品質の桃になりません。

標高の高い大和町にも適した品種に挑戦。こちらはすぐに商品になりうるぐらい順調に成長したものの、市場から同じ品種が岡山県から出荷されて、10日遅れの出荷では需要がないかも、と言われてしまいます。

上手くいったと思ったところでくじかれる、そんな試行錯誤の日々が続いていたある日のこと、傷ついた桃を捨てていた場所から4本の苗が生えているのを発見します。

そのうちの1本はすくすくと成長し、今まで見たこともないような大きな実をつけました。

驚いた阿部さんは、広島県の農業改良普及所、果樹試験場、農協などの関係機関の協力を得て調査した結果なんと新種であることが判明。

この桃は阿部さんの名前をとって「阿部白桃」と名付けられました

「阿部白桃」はその大きさとサクサクとした珍しい食味、まるでお肉のサシが入ったような美しい果肉で一気に注目を集めた

北京大学から教授が視察に訪れ「桃の王様」と発言したことや、NHKのテレビ中継で「日本一大きい桃」と紹介されたことで苦労していた日々とは一変、知名度は全国区に。

桃作りに適さないかもと思っていた大和町でしたが、阿部さんの諦めない気持ちが、新品種を生み出したのです。

 

栽培へのたゆまぬ努力が阿部農園のブランドを盤石なものに

大きなもので1キロ近くになる阿部白桃は、しかしながら栽培に手間がかかるのも事実です。

デリケートな性質から傷がつかないようひとつずつ手作業で袋掛けをおこなう

本来なら袋掛けの際に、簡易的に袋の口を縛るところを、三角掛けと呼ばれる特別な袋の掛け方で雨水の侵入を完全に防いでいます。栽培期間が長いため、収穫を迎えるまでに台風の時期を越えなけなければならないこともあり、その苦労は並大抵のものではありません。

また、桃自体の珍しい特徴からすぐに人気となった阿部白桃のようですが、販売の気苦労もあったといいます。

当初東京の三越に阿部白桃を持ち込んだところ、「こんな白っぽい桃は関東で流通しない。もっと赤いものが欲しい」と突き返されました。そこで阿部さんは色味を変えられないかと挑戦、遮光量を調整し赤く色づけることができた桃を翌年再度持ち込みます。

すると今度は、「去年の白い桃はないんですか。紅白にして売ったら縁起の良さもあって評判になると思います」と言われたそう。デパートでの流通量に対応できるほど安定した収穫が見込めないこともあり、その後取引は途絶えてしまいましたが、このアドバイスのおかげで、遮光量の違う袋で育成し赤白はっきり色味を出す栽培の工夫が取り入れられました。

どうにかして多くの人に阿部白桃の良さを知ってほしいと、その後はテレビ出演などもしましたが、一時的に注文が殺到してしまい毎年注文してくれるお客様の桃の確保が難しくなってしまったといいます。

「阿部白桃を心待ちしているお客様には、旬のおいしい桃をきちんと届けたい」

その思いから、販売は阿部農園で直接購入するか、毎年注文する人のみ電話対応も可能というかたちに変更しました。

贈答用には金色と銀色、2種類の箱を用意し、特別な贈り物としても広く知られるようになった

時には急な注文などにも対応することも。阿部さんのお客様への対応もブランド桃として支持を得られるようになった一因です。

その一方で、手間とコストがかかる阿部白桃にのみ力を入れていては、農園の経営が成り立ちません。万人受けするような安定品種もあればと新種の開発にも積極的に挑戦。その結果、「阿部白桃」と「清水白桃」をかけ合わせた「阿部水蜜」というオリジナル品種が誕生。

こうして阿部農園は、8月上・中旬に収穫する「阿部水蜜」と、9月上・中旬に収穫する「阿部白桃」この2つの独自品種による評判で、確固とした地位を築き上げました。

 

地域と人に支えられ、阿部農園の桃作りは続いていく

阿部農園の名が知られるようになったのは、「支えて下さった皆さんのおかげ」と話す

「今の阿部白桃があるのは、研究機関を紹介してくれたり、販売方法を一緒に考えてくれたり、自主的に宣伝してくれた皆さんあってこそ。地域で育ててくれたブランド桃だと思っています」

また、探求心を忘れず栽培に取り組む阿部農園から学びを得たいと、今から20数年前、近隣小学校が校外学習に訪れたこともありました。農園の姿勢や取り組みを一年間かけて綿密にまとめたこの学習は地域内外から高い評価を受け、最終的に文部科学省の大きな賞を受賞。

事務スペースには、その時子どもたちから寄せられた感謝の手紙と似顔絵が貼ってあり、阿部さんを温かな気持ちにさせてくれるといいます。

「大人になった子どもたちがね、桃を買いに来てくれるんですよ。あの時私も参加してたんです、あの似顔絵は私ですって。当時ここで学んだことが、何かひとつでも彼らの中に生かされているといいなと思います」

現在阿部さんは夫婦で農園を切り盛り、繁忙期になるとすでに嫁いだ二人の娘さんも手伝いに戻り、皆で協力しながら作業をこなしています。

「娘は進んで私たちの苦手なところを引き受けてくれます。コンピュータを使って生育や出荷状況の管理をしたり、伝票の整理をしてくれたり。とても助かってますね」

これからも阿部さんは家族や地域の人々に支えられて、桃作りを続けていきます。