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満喫台湾×みはら~ 文化の違いに出会った留学生活


享受台灣×三原~
受到文化衝擊洗禮的留學生活
(不懂日文也沒關係,下面有中文版,請往下拉唷)

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三原市には約2,000人の外国籍の方が暮らしています。
市公式noteでは、三原で活躍する外国籍の方から見た三原をご紹介します。
沼田東コミュニティーセンターでの講座始め、三原と台湾を繋ぐ様々な活動をされているイーファンさんをご紹介します。
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振り返れば20代からほぼ日本で生活している私は、そろそろ日本で暮らす年数が台湾で過ごした時間を上回ります。日本に留学するまでの道のりは決して簡単ではなかったので、留学が決まった日には、留学生活を思う存分謳歌しようと心に決めていました。しかし、そんな私の決意とは裏腹に、日本に到着した初日から思いがけない出来事に見舞われました。念願の日本には無事に到着したものの、空港のベルトコンベアが止まるまで私の預けた荷物だけ一向に出てきませんでした。若き日の私は、まだ流暢ではない日本語で空港のスタッフに声をかけ、預けた荷物の行方を調べてもらうと、なんと何かのミスで私のスーツケースがソウルに送られていたそうです。また、後日ソウルから私の住所まで送られるのに、一週間程かかると告げられました。入学式まであと3日、せっかく新調したスーツを着ることができない不運に涙しながらやむなく、これから私の日本での城となる、留学生向けの学生アパートに移動しました。スーツケースの無い私は、勉強はおろか何もできません。

しかし、こんなことで落ち込む私ではありません。早速思いついたやるべきことがありました。それは「桜の花見」でした。人生初めての花見、留学前から交流のあった同じ大学の友人達と、みんなでわいわい夜桜を見に行きました。念願の日本、満開の桜に目が釘付けになって、気持ちがずっと高ぶっていました。友人と最寄り駅で別れた時は、すでに23時。ハッとして家路を急ぎましたが、小さい頃から突拍子なことをする私は花見の余韻に浸っていたこともあり、道端の桜の木を見て天才的な発想が湧きました。「桜の枝を折って持ち帰ろう」と決めて、なんと実行してしまいました。若気の至りです。もう時効なので許してください。

画像1▲留学時代のイーファンさん

家まであと少しだ!と思ったところで、なんと警察に捕まりました。不器用そうに桜の枝を一人で抱えながら深夜に一人歩く、怪しげな私が不審に思われたようでパトカーの中から声を掛けられました。「留学生の方ですか。日本では桜を折って無断で持ち帰るのは犯罪ですよ。外国人登録証明書(今は在留カードですが、当時は外国人登録証明書でした。)を見せてください。お家はどこですか。遅いので送ります。」と。

今でもですが在日外国人は在留カードの携帯が義務付けられています。しかし、よりにもよってその日はカバンをひっくり返しても出てきませんでした。ますます不審がられ、警察の方と一緒に外国人登録証明書を家に取りに帰ることになりました。幸い外国人登録証明書の確認ができた警察の方は、私が来日して間もないことを知り見逃してくださいました。さすがにこんなことで強制送還されてはたまったものではないです。来日して2日目、いい人生勉強になりました。あとで調べてみると、無断で花の枝を折ると立派な器物損壊罪になるし、持ち帰ると窃盗罪になります。また、折れた枝なら不可抗力ですし持ち帰ってもよいかと思われがちですが実は大間違いです。いくら折れたものでも持ち帰ることは同じく窃盗罪となるので、決して私と同じ間違いはしないで欲しいです。警察の方にも「日本では桜を折る人は馬鹿だと言われます。」と教えて頂きました。『桜折る馬鹿 梅切らぬ馬鹿』ということわざがあることもその時知りました。桜の枝を折ったので、翌日の入学式で同級生に「馬鹿」とからかわれました。日本は桜が美しい国だと知っていましたが、桜を大切にして次の人のために持ち帰らないからこそ美しく咲くのだと、実感した出来事でした。

筆影山(桜)

三原もとても桜の美しい町です。私は筆影山の桜をよく見に行きます。1回目の記事にも書きましたが、三原の多島美が大好きです。両親と妹が初めて三原に来た時はちょうど4月の初めだったので、シーズンが限られる桜狩りも兼ねてすぐに連れて行った観光名所は瀬戸内海を一望する筆影山です。展望台から満開の桜と瀬戸内海に浮かぶ島々の景色を、思う存分堪能してもらいました。気持ちのよいそよ風に吹かれながら桜が舞い散って、思わず教授が講堂で言っていた日本人の死生観についての授業を思い浮かびました。日本人の感性というのは「生きる時は思いきり自分の花を大きく咲かせ、散る時もいさぎよく。」しばらくその哀愁に無我夢中でしたが、妹に「お腹が空いた」と声をかけられハッと我に返りました。いくら景色がきれいでも、やはり「花より団子」という万国共通の言葉があるように、「死より生を大事にしたい」ということに賛同せずにはいられませんでした。

そこで、「おもてなし」として私が思いついた食材は三原の名物、たこです。ゑびす屋のタコせんは台湾の新幹線事務所で働いていた時からよく食べていましたが、新鮮なたこ料理は台湾でもなかなか食べられないということで魚介類の好きな家族に味わってもらうために駅前通りにある「かわ蝶」に行きました。ヨーロッパではたこが「悪魔の魚」と呼ばれ敬遠されていますが、台湾は日本と同じくたこがよく食べられる地域なので両親も妹もとても楽しみにしていたようでした。たこの身が引き締まっていて歯ごたえがよく、濃縮された甘味が口の中で噛めば噛むほど広がり、さすが瀬戸内のたこです。その新鮮さがわかります。また、魚介類独特な臭みも全くなく、そして洗練された盛り付けでどれもこれも頬張りたくなるものでした。絶品たこ料理に舌鼓を打っていた両親に思わず微笑みました。最高な親孝行ができたと思います。もし遠方のご友人が来られたら春の三原を是非お見せして、最後はたこ料理で胃袋を満たしてあげてください。

お食事

▲思い出の「かわ蝶」さんのタコ料理 
両親と妹と三原のたこ料理を楽しみながら至福のひと時を過ごしました

さて、話は戻って留学3日目です。普段着のまま入学式を迎え、夢溢れる留学生活が幕開けしました。一番楽しみにしていたのは学食です。やっと昼になって大学の食堂に行ってみると、衝撃的なメニューが目に入りました。
学食の人気メニューは「ダブル炭水化物の半チャンラーメン」と「トリプル炭水化物の半チャンラーメンと餃子セット」というのです。確かに食べ盛りの年頃なので炭水化物の塊は満腹中枢を満たしてくれますが、台湾では主食が2つというメニューがないため、そのメニューは印象的でした。三原でも珍しくないセットですが、「ラーメン」も「うどん」も「チャーハン」も「餃子」もどれも主食です。1回の食事で同時に注文することは、台湾人には到底理解できないことです。

そして、お店で席に着くと店員さんが出してくれる氷入りの水も不思議です。なぜなら台湾人は冷たい飲み物をあまり飲まないからです。日本での生活が長い私ですが、今でも氷入りのお冷は苦手で「氷なし」のお冷をお願いします。特に台湾では女性にとって冷たいものが禁物です。小さいころから家の人に「冷たい水を飲むと体に悪い」と教わったので氷入りの水が出されると、思わず拒んでしまう傾向にあります。もちろん台湾は暑いので氷たっぷり入ったジュースとタピオカミルクティーは飲んだりしますので話が食い違うのでは?と思われるかもしれませんが、台湾では水道水をそのまま飲めないので沸かす必要があります。それが故に、お店でお冷が出されるとなんとなく水道水だと思ってしまいます。

台湾は、まずお茶が出される文化です。また、台湾ではあちこちにウォーターサーバーがあるので、みんな水筒を持ち歩きます。そのウォーターサーバーに三つのボタンがあり、それぞれ「お湯」、「白湯」、「氷水」です。なぜ「白湯」?と思うでしょう。実は台湾人、「白湯」が好きなんです。「白湯」を飲むと体をいたわることができると思われています。

はんちゃんラーメン

▲宮浦にあった時によく家族で通っていた「ラーメン康」さんの半ちゃんラーメン。(店舗は今、本郷にあります。)

今ではすっかりダブル炭水化物のメニューと冷たい水にも慣れ、ちっとも珍しくなくなりました。それでも未だ慣れないことがあります。それは冷たい弁当です。台湾人は飲み物だけでなく食事も、温かいものを好むので、学校の教室に保温機が置いてあります。登校後、持ってきたお弁当を保温機に入れておくと、お昼にホカホカの弁当が食べられます。両親が日本に初めて遊びに来た時、スーパーで試しに弁当を買って食べてみましたが、それ以来、両親は冷たい弁当を買うことはありませんでした。気持ちはよく分かります。

ここで私が行った2つ目の親孝行の話をしようと思います。それから両親とどこかに観光に行くときには時間の関係でお店で食べられなかったら必ずと言っていいほど温かい弁当が買える「ほっかほっか亭」を探してあげました。グーグルマップに設定する場所は、あちこちの観光地とほっかほっか亭だなんて面白いでしょ。大体の観光地は田舎にあることが多く、運転する主人が何回もほっかほっか亭が町にないことに悩まされましたが、できるだけ見つけます。なぜなら次の目的地まで移動しながら、買ってきた温かい弁当を食べる両親の幸せそうな顔が見たいからです。今も微笑ましいシーンが目に浮かびます。これも上出来の親孝行でした。

台湾と中国には「王以民為天、民以食為天」(王は民を以って天と為し、民は食を以って天と為す)ということわざがあります。孟子はかつて国を治める方法について尋ねられた時こう答えました。食を重んじる民族なので、食べるものがなければ蜂起します。ですから、国をよくしようと思ったらまずは人民のお腹を空かせないことからです。歴史を紐解くと2,400年前の孟子が言った言葉は今でも十分通用します。フランス大革命が発生したひとつの原因と思われる小麦粉戦争や、日本の米騒動などはどちらも炭水化物が買えないことから始まりました。中学生の時、母は私の歴史の先生でした。教師として世界史を教えていた母が「今の政治家は歴史の教訓から学んだので、穀物価格の妥当な水準を維持しています。そうしなければ人民は騒動を起こしますから。」と言っていたのを今でも鮮明に覚えています。それほど台湾人は食に対する意識が高いし、台湾人は「吃飯皇帝大」(食事は一番大事です。どんな緊急なことがあってもまずは温かいご飯を食べてから)と思っています。ですから、普段は通訳の仕事をしていますが、現場に台湾人のクライアントが来たら、必ず温かい弁当を注文するように心がけています。そして、もはや半分日本人のような私も、やはり温かいご飯がいいと思うくらいです。

旅行会社を経営している知り合いから聞いたのですが、訪日台湾人ツアーの食事は、参加したお客様からクレームが入るので、決して冷たい弁当は出さないそうです。唯一の例外はお寿司です。温かい寿司は考えられないので冷たくても問題なく喜んで食べてくれるのだそうです。寿司は台湾でも日本の代表的な食文化として人気です。思えば母が初めて日本の寿司屋さんで握り寿司を食べたとき、二口で食べていたので、「握り寿司は基本一口で頬張るものだよ。騙されたと思って食べてみて」と教えました。なんとなく大きな口を開けて食べることに躊躇する母でしたが、「旅の恥は搔き捨て」の思いできょろきょろ見回しながら思いっきり口に入れました。すると、その瞬間口の中でほろりと溶けるシャリが新鮮なネタと相まって、寿司の醍醐味が分かった至福のひと時が得られました。それから母は日本に遊びに行く友人がいると、「寿司は一口で食べるものよ。」と旅に出る前に必ず教えます。これは3個目の親孝行だと言えるでしょう。日本と台湾、同じアジア圏でもこんなに食文化が違うことは留学しなくても知ることができたかも知れませんが、それぞれの背景にある価値観や、文化的意義を深掘りする機会を得たのは留学のおかげだと心から思っています。

日本で生まれ育った子ども達も、異文化を知り、お互いの文化を尊重することで、柔軟性が養われていると思っています。色々な経験を積み、育ちながらブレない芯を培ってくれればうれしいです。この話「いいなぁ」と思ったら♡マークを付けてください。これからも「満喫台湾×みはら~」コラムの応援よろしくお願いします。

                         怡芳(イーファン)

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【中国語版】
イーファンさんが台湾の言葉(台湾華語)でも同じ内容の記事を書いてくださいました。
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三原市官方Note
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三原市居住著約2,000名外國人。
在市公所的官方Note上,我們將介紹在三原市活躍的外國人及他們所看到的三原市。她參與了許多連結三原和台灣的活動,其中包含她在沼田東社區活動中心定期舉辦的台灣講座。
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享受台灣×三原~受到文化衝擊洗禮的留學生活

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台灣的父母和妹妹被筆影山上的多島嶼美和盛開的櫻花迷住了

回想起來,我從二十多歲就一直在日本生活,掐指一算在日本過的日子都快比在台灣的時間多了。想當年為了能到日本留學,不知費煞了我多少功夫,每一次的挑戰都不全是一帆風順的,所以得知自己考上獎學金,出國留學的夢想終於如願以償的那天,我決定一定要盡情享受我的留學生活。然而人生總是事與願違,在我抵達日本的第一天,馬上就受到了小小的打擊。人是平安地抵達了日本,但一直等到機場的輸送帶停止,我的行李箱還是遲遲沒有出現在我的面前。不得已之下只好用生澀的日語和機場工作人員比手畫腳,讓他們找出我行李的下落。查詢之後發現我的行李竟被送到了首爾,要再寄回我的住處大約需要一周的時間。離入學典禮只有三天,看來新買的西裝是沒機會穿上了。沒了行李箱孑然一身的我,馬上移動到了留學生公寓,這裡即將成為我在日本的城堡,那時,沒了家當的我什麼也做不了,更別說要學習了。

不過,我並不因此而沮喪,因為我有一項必須馬上完成的任務,那就是「賞櫻」。賞櫻是有期限性的,生平第一次和留學前就有交流的同一所大學朋友一起去賞夜櫻。我的目光緊緊盯著嚮往許久的美麗櫻花,興奮極了。在離家最近的車站和朋友分手時,已是晚間十一點。我心中非常了解必須馬上趕回家這件事,但從小就愛突發奇想的我,想必是還沉浸在賞櫻的餘韻中,看到路邊的櫻花樹就靈機一動,決定「折斷櫻花的枝條帶回家」。這真是個年輕魯莽的行為啊,但畢竟已過了時效,還請大家原諒我吧。

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▲留學生時代的我

正想著「我就快到家了!」時,就被警察抓了。畢竟笨手笨腳地拿著一截櫻花枝大半夜地走在路上,看起來也太可疑了。不一會兒功夫果然被警車裡的警察叫住了。警察伯伯問:「你是留學生嗎?在日本,擅自折櫻花帶回家是犯罪行為。請出示你的外國人登錄證(註:現在稱在留卡,但當時是外國人登錄證)給我們看好嗎?你家在哪裡?這麼晚了我們送妳回家吧。」你們知道嗎?即使是現在,長期居住在日本的外國人還是必須每天攜帶在留卡在身上。偏偏就是那一天,我把整個背包都倒出來翻遍了,終究還是沒有找到我的登錄證。於是警察決定和我一起回家拿我的外國人登錄證。幸運的是,聊著聊著他們看我這初來乍到的,也不好意思辦我,便大人大量放了我一馬。好險啊,若因為這個原因而被遣返,那下場可真是太悽慘了。來日本才第二天就扎扎實實地上了一課。之後我查了資料才知道原來擅自折斷花枝算是毀損罪,將其帶回家即犯下盜竊罪。還有,如果是已經斷的樹枝,總可以帶回家吧?你要這麼想就大錯特錯了。不管樹枝和花再怎麼破敗,只要將它們帶回家都算是盜竊罪,大家千萬不可和我犯同樣的錯誤。警察伯伯還告訴我:「在日本,我們都會說攀折櫻花的人是傻子。」那個時候我才知道日本還有另一句關於修剪花木的諺語叫「剪櫻花的傻子和不剪梅花的傻子」。(註:櫻花不需要剪枝,所以說「剪櫻花的傻子」。而梅花是需要剪枝才會長得漂亮的,所以說「不剪梅花的傻子」。而我偏偏就是那個傻子,果然第二天的入學典禮上就被同學取笑了。以前就知道日本是個櫻花很美的國家,但從這經驗讓我意識到它之所以會盛開地如此美麗,無非是因為大家那份珍惜櫻花的心。為了讓下一個人也看得到這片櫻花滿開的美景,日本人是絕對不會把花帶回去的。

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三原也是一個櫻花非常美麗的小鎮,我經常去筆影山看櫻花,誠如我在第一篇文章中所寫的,我最喜歡三原的多島嶼美。父母和妹妹第一次來三原的時候剛好是四月初賞櫻季節,我第一個帶他們去的旅遊景點就是可以遠眺瀨戶內海的筆影山。在展望台上,旅人們可以盡情地欣賞盛開的櫻花和浮在瀨戶內海上的各個島嶼。櫻花被微風吹得四散,我腦海裡霎時間浮現了大學教授在課堂上滔滔不絕地講述日本人生死觀的情景。感性的日本人認為「活著便要每時每刻盡全力徹頭徹尾地去活;死時要敢於捨棄對生的執著痛痛快快地去死。 」正當我陷入了這獨特的生死觀裡無法抽離時,妹妹突然跟我說:「我肚子餓了!」我這才回過神來。唉,這再美的風景,還是敵不過世界上所有吃貨的共通諺語「糰子勝於花」啊。(註:比起絢麗的櫻花,還是美味的糰子更實在。)這句話體現了對活下去的渴求與慾望,寓意的著墨實在是再恰當不過了。旅人們再怎麼不食人間煙火,也得溫飽吧。貪得美景而忘卻了肚子這種事終究還是沒有發生在我們身上。

走吧!夥伴們該一起去覓食了。此時五臟廟也敲起了邊鼓,身為地主的我認為最應該拿來「盛情款待」的食材非三原的特產「章魚」莫屬了。當年在台灣高鐵辦公室工作時,常常吃得到惠比壽屋的章魚仙貝,但說到新鮮的章魚料理,台灣還真不太容易吃到,所以我決定讓愛吃海鮮的家人們品嚐看看三原的章魚,就帶他們到車站前馬路上的KAWACHOU吃中飯。在歐洲,章魚被稱為「惡魔之魚」,大家避之唯恐不及,但台灣跟日本一樣是經常吃章魚的地區,所以父母和妹妹都非常地期待。章魚的身體結實有嚼勁,濃縮的甜味在口中經由咀嚼而蔓延開來,真不愧是瀨戶內海的章魚啊。你可以看到它的新鮮度,而且海鮮特有的臭味也完全感受不到,再加上精緻的擺盤,每道料理都讓我們忍不住食指大動。我看著正在享用美味章魚料理的父母,不禁會心一笑。我想,這就是天底下最好的孝道吧。如果有一天,您也有朋自遠方來,請讓他們看看三原的春天,最後用美味的章魚料理填飽他們的肚子。相信我,這一定是您最好的待客之道。

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▲KAWACHOU章魚料理的回憶
和父母、妹妹一起享用三原章魚料理,渡過了愉快的時光

時間又回到留學的第三天。入學典禮上穿著便服的我,雖無機會穿上新西裝,倒也沒時間落寞,充滿夢想的留學生活一開跑,吃貨的我最期待的當然就是學生食堂啦。好不容易餓著肚子熬到中午,終於可以踏進大學食堂,但映入我眼簾的竟是令人跌破眼鏡的菜單。學生食堂的流行餐點是「雙碳水化合物半拉麵半炒飯套餐」和「三種碳水化合物半拉麵半炒飯和餃子套餐」。確實大家都是還在發育的年輕人,充滿碳水化合物的餐點立刻就能帶來飽足感,但在台灣,沒有人會在一頓飯裡吃兩種主食的,所以那些菜單著實令我匪夷所思。我在三原也常常看到下列的菜單:「拉麵加餃子套餐」、「烏龍麵配飯糰」、「炒飯加拉麵套餐」等等,明明拉麵、烏龍麵、炒飯、餃子都是主食不是嗎?在同一餐飯裡吃這麼多種類的澱粉對台灣人來說實在是很難接受啊。

而且餐廳的店員會在客人坐下之後拿冰水過來順便點菜。我剛來日本時也不是很習慣,因為台灣人不怎麼喝冰開水。即使已在日本生活了很長時間,我對加了冰塊的水還是有些抗拒,每回總是請店員給我不要加冰塊的水。在台灣,女生不太吃生冷的東西。而且,從小家人就告訴我,喝冰水對身體不好,所以每當店員端著冰水來時,我往往喝不下去。當然,台灣很熱,我也是個正常人,也會想喝大量加冰塊的果汁和珍珠奶茶,所以您可能會想:「你說這話不是自相矛盾了嗎?」其實是因為在台灣,自來水是不能生飲的,我們喝之前都會將它煮沸。因此,當日本的店員拿開水來時,雖然知道日本的自來水可以生飲,但剛來日本留學時,我的腦袋還是很不自覺地一看到店員端來的水就自動判定為「無法生飲的自來水」,尤其是冰的,真是一口也吞不下去啊。

在台灣,店家招待的是茶水而不是冰水。而且台灣到處都有飲水機,所以每個人都會隨身帶一個水瓶。飲水機有「熱水」、「溫水」、「冰水」三個按鈕。為什麼是「溫水」?因為台灣人很喜歡喝「溫開水」,我們也相信喝「溫開水」可以調理身體。

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▲拉麵康還在宮浦時,我常常和家人一起去。這是他們的半炒飯半拉麵套餐照片(這家店現在在本鄉)

現在我已經完全習慣了雙碳水化合物菜單和冷水了。不過,我還是無法接受冷便當。台灣人喜歡吃熱食、喝熱飲,所以學校的教室裡都附有蒸飯箱。到校後就把帶來的便當放進蒸飯箱裡,一到中午就可吃到熱騰騰的便當了。猶記爸媽剛來日本時,在超市試買了便當,但吃了一次之後,就再也沒看過他們買冷便當了,這種心情我實在是打從心裡再了解不過了。

接下來我想談談我盡的第二個孝道。自從冷便當事件之後,每當帶我的父母去觀光時,我就會想方設法地搜尋「HOKKAHOKKATEI」(一個便當外帶連鎖店)。因為有時為了趕去下一個景點,或是時間不配合而不能在店裡好好地吃飯,我就可以在便當連鎖店外帶熱呼呼的便當。我在谷歌地圖上設定的除了旅遊景點外,還有各地的HOKKAHOKKATEI。然而大多數的旅遊景點都在鄉下,我先生很多次都為了搜尋不到HOKKAHOKKATEI而煩惱。但我們還是盡力去找,因為我們想看到父母那坐在車上往下個景點時享用著我買來的熱騰騰便當的幸福臉龐。一想到那些美好的回憶,嘴角還是不禁浮起了一絲微笑,我想我這也算是盡了個大大的孝道吧。

在台灣和中國,有「君以民為天,民以食為天」的說法。古時人們請教孟子如何治國,孟子曾回答:「作為一個重視吃的民族,如果沒有東西可吃,人們就會起義。所以,如果你想治理好國家,首先你不應該讓人民餓肚子。」縱觀歷史,兩千四百年前孟子所說的話,仍然是很有道理的。法國大革命的原因之一麵粉戰爭和日本的米騷動都始於人民無法透過正常管道買到碳水化合物而造成的。我國中的時候,媽媽是我的歷史老師,她在教我們世界史的時候曾說道:「現在的政治家們已經從歷史中汲取了教訓,糧價水準基本上都會盡量維持在合理的價格,否則人民會引發暴動。」這些她在課堂上說的話我還記得清清楚楚的。由此可見台灣人真的很重視「吃」,台灣人總說「吃飯皇帝大」,不管遇到什麼緊急情況,都必須先填飽自己的肚子。因此,當台灣客戶來到我的工作現場時,身為現場通譯兼台灣人的我,是最了解客戶的需求了。我排除萬難地也一定會為我的客戶特別訂購一個溫暖好吃的便當。現在,即便我已是半個日本人,蘊藏在身體裡的台灣魂還是會指引我選擇熱呼呼的食物。

我曾聽一位開旅行社的熟人說,旅行社絕對不會為來日本觀光的台灣客人提供冷食,因為參加旅行團的客戶鐵定會抱怨,唯一的例外是壽司。畢竟熱的壽司應該沒有人嚥得下去吧!即使壽司很冷,客人也很樂意吃。壽司是一種典型的日本飲食文化代表,在台灣是非常有人氣的。我還記得媽媽第一次在日本的壽司店吃握壽司時,她分了兩口吃,但我告訴她:「握壽司基本上是一口吃下去的。妳就試試看,被騙也沒人知道。」聽了我這麼說,媽媽還是一直猶豫著要不要張開大嘴吃,那時我又告訴她日本有一句諺語叫做「旅途中出的醜不必顧忌」,她聽完索性就環視了一下四周把握壽司整個往嘴裡一塞。哇!那一刻,入口即化的壽司飯,配上新鮮的食材點綴,她才真正地體會到了吃壽司的樂趣。之後,媽媽每逢身邊有朋友要去日本旅遊時,她總是告訴他們「壽司一定要一口吃」。這可謂我的第三孝啊。在這個網路無遠弗屆的年代,秀才不出門便能知天下事,不去留學當然也很容易就知道日本和台灣,即使是在同一個亞洲地區,飲食文化的差異還是非常大的。但和別人不同的是,因為我有來日本留學的經驗,才比別人有更長的時間,更多的機會得以去深入挖掘其存在於每個習慣背後的價值觀和文化意義。

而現在,我的兩個在日本出生長大的孩子從小透過學習和尊重彼此不同的文化而漸漸地培養出了對環境的適應性。期許他們在人生的下一個階段能汲取更多經驗幫助成長,同時養成堅持捍衛自己的理念永不動搖的決心,這樣也就不枉費父母養育的苦心了。今後也請大家繼續關注支持我的「享受台灣×三原~」專欄。如果你喜歡我的文章,請記得用行動支持我,幫我按 ♡,謝謝大家!

                              怡芳

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