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「人生に悩んだら、小佐木島に来て「区長さん」に相談しよう! 島のパワーを知る『生き字引』が直接アドバイス!」


この記事は、2018年12月取材時点での情報です


【まちづくり】
小佐木島 区長
岡本正穂(おかもと まさのり)さん
 

小佐木島で生まれ育った岡本さんは、島の人たちの世話役として頼りにされています。

また、島に遊びに来る人はもちろん、移住の相談にも気軽に乗り、親身にアドバイス。

そこには、島を愛する並々ならぬ思いがあります。

「いつでもみんなが帰れるように、絶対無人島にはしない!」


頼まれればすぐに自転車で駆け付け、何でも相談に乗り、島の魅力を全身で伝えます。



小佐木島の生き字引、困ったときは「区長さん」に聞け!


「区長さん」と呼ばれ、島ではとても頼りになる存在だ

小佐木島に生まれ、小佐木島で暮らす岡本正穂(おかもと まさのり)さんは、昭和4年生まれ89歳。

それでも声がかかると自転車に乗り、海を背に颯爽と走る姿はまさに島のヒーローです。

これまで「釣りがしたい」「海水浴に行きたい」という遊びから、 「移住したい」「島でのんびり暮らしてみたい」という人生の相談まで、たくさんの相談に乗ってきた


そんな岡本さん、人の世話を焼くのは「ひとりでも多くの人に小佐木島に来てもらい、島を楽しんでほしいから」。

島を訪れた人と酒を酌み交わしながら話をするのも好き。気がつけば頭上には満天の星が。

島の恵まれた自然環境も区長さんの自慢のひとつです。



「舟大工と柑橘の島」

「小佐木島には、舟大工がたくさんおってのう」

大正から昭和初期には、島も木造船の造船で賑わっていて、岡本さんも舟大工職人でした。

「もともと漁師はいなかった、舟大工と柑橘の島じゃったんよ」

かつて瀬戸内の漁師の仕事を支えていたのは、彼らが使う木造船を造る舟大工だったという


小佐木島で作った船が瀬戸内海を走り、その船で柑橘が各地に運ばれました。

人とモノが行き交い、島ならではの文化を育んできた時代。

しかし、戦後木造船はなくなり、島の暮らしも一変、仕事を求めて島を出て行く人もいました。


岡本さんは運送業に職を変え、それでも小佐木島を離れようとは思いませんでした。

「空気がきれい! 魚がうまい! 柑橘がある! どこを歩いても静かで穏やか! こんなところが他にありゃせん」

岡本さんは、“生涯小佐木島”で生きることを決意したのです。

桜も可憐に咲き、海に沈む夕日との相性も抜群で、天然の海岸・干潟には希少な生物もたくさんいるそう



「生まれ故郷を絶対に無人島にはしない」

小佐木島は三原港から高速船で13分。舗装された道路が島の周囲3.2kmあり、30分くらいで1周することができます。

昭和30年代 島の人口は140人を超えていた


現在、島で暮らすのはわずか「6人」。空き家も増え、みかん畑にも枯れ木が目立つようになりました。

けれど、車が走らないので信号がない。

コンビニはないけど、柑橘類・野菜や魚ならいくらでもある。

何より困ったときには必ず誰かが助けてくれる。

島の人たちは、昔ながらの暮らしを大切にして、自然豊かな小佐木島を守っています。

「子どもたちはもちろん、誰かが帰ってきたいと思ったときにいつでも帰れるようにしておくことが大事。そのために尽力したい」

岡本さんは区長さんとして、交流人口を増やすために奔走中だ


せっかくお世話しても、空振りに終わることもしばしば。

でも区長さんはめげません。

そして今、その努力が実りつつあります。

この島を訪れた北海道在住の鈴木敏司さんとの出会いが大きなきっかけとなり、島に関わりを持つ人が増えつつあり、活性化に向けて新しい計画も動き始めています。

柑橘類のない北海道に島の柑橘を送り、北海道からの旅人も増やそうとしています。

そして、島を離れた人々にもメッセージを送ります。

「この島には力がある。元気がなくなったら、いつでも帰ってきんさい」。

区長さん、今日も自転車で走り続けています。