たゆまぬ努力で次代へとつなぐ三原の酒の歴史と伝統
この記事は、2019年年2月取材時点での情報です
【食づくり】
株式会社 醉心山根本店
山根雄一(やまね ゆういち)さん
日本三大酒処として知られる広島県。
その中でも三原は、万葉の時代より酒が造られていたというほどの古い歴史を持っています。
かつては11もの蔵がありましたが、現在では醉心山根本店を残すのみとなっています。
現社長の山根雄一(やまねゆういち)さんは醸造研究所にて共同研究員として勤めた後、社長に就任しました。
受け継がれ、地元で愛される醉心の酒
「実は三原の酒造りは西条よりも古い歴史があり、その酒は江戸時代には全国でも五指に入る銘醸地といわれていたんです」と、醉心山根本店、六代目となる山根社長は教えてくれました。
「子どもの頃は自分が蔵を継ぐとは思っていませんでした。自覚がなかったんですね。ですが不思議と、酒造り以外の道へ進もうとも思いませんでした」。
創業は1860年、来年で160周年を迎える醉心山根本店の酒は、三原の名産の1つで高い人気を誇ります。
「毎年2月に行われる三原神明市では、数は限られますが酒粕も販売しています。30パーセント精米の大吟醸を醸造する際に出た酒粕でつくった甘酒も、そこで提供するのですが、これも大変好評をいただいています」。
お話を聞いているだけで、そのにぎわいが目に浮かぶようです。
伝統の味を守るための苦労と努力
「古くから酒蔵が造られたのは、三原に酒造りに適した良い水があったからでしょう。ですが環境の変化で、酒造りに使う水の性質が変わってしまいました」と語る山根社長。その表情には少し曇りが見えます。
「醉心の酒は、かの横山大観画伯も愛してくださった、辛口ながら甘露という、他にない特徴があります。その味を変えたくはありませんでした。ですから酒を水に合わすのではなく、私たちの酒に合う新しい水源を探したんです」。
苦難の末、ようやく酒造りに適した水を見つけたものの、苦労はそこで終わりません。
「酒質の根幹を守ろうと思えば、新しい水に合った新しい酒造りを模索しなければなりませんでした。毎年いろんなところを改良し、ようやく私たちの求める酒の味にたどり着きました」。
三原の酒づくりの伝統を守らんとする人たちの、たゆまない努力によって、醉心の酒は守られたのです。
何より大切なことは足もとを見つめ、それを大事にすること
近年の世界的な日本食ブームに伴って、日本酒も海外での人気が高まっています。
「でも人気だからといって、ポッと海外に持っていってもダメなんです」と山根社長。
「海外に住む方から言われました。地元に根付いて、愛され、ファンがいるからこそ、輸出しても人気が出るんだと。まさしくその通りだと思いました」。
「歴史ある三原の酒を途絶えさせてはなりません。一人また一人と、飲んでくださる方を増やしていきたい。次の世代、さらに次の世代へと、醉心を、そして三原の酒を残せるように、そのために頑張っていきたい」。
静かで落ちついた話しぶりの中に、この町の歴史ある酒を守るという山根社長の決意が感じられました。