覆面パーソナリティーの原点は三原?マスクの下の素顔とは
この記事は、2021年3月取材時点での情報です
【幸せづくり】
覆面ラジオパーソナリティー
一文字弥太郎さん(いちもんじ やたろう)
※2022年2月、一文字弥太郎様がご逝去されました。生前のご厚誼に深謝し、謹んでお悔やみ申し上げます
本名もその姿も一切明かさない、だけど誰もが一度は耳にしたことのある、その声……“覆面ラジオパーソナリティー”として知られる一文字弥太郎(いちもんじやたろう)さん。ラジオ業界で長年活躍しながら、放送作家や脚本家としての顔もある謎多き一文字さん、実は三原生まれなんです!
高校時代から発揮していた“話”の才能
広島県立三原東高等学校に在学中、生徒会長を務めていた一文字さん。
「演説会で、対立候補だった子がみんなを笑わせるような演説をしたのが悔しくてね。負けまいと、それを上回る爆笑を取る演説をしたことで生徒会長に当選しちゃったんです」
みんなを笑わせたり、喜ばせたりすることができる才能は、この頃から発揮されていました。
高校卒業後は三原を離れ京都産業大学に進学、卒業して約1年後に広島県内のテレビ局でカメラアシスタントや機材を運ぶアルバイトをするようになりました。そのうち「お前、台本を書いてみろ」と言われて書き始めたのが、放送作家としての出発点。ラジオパーソナリティーとして活動するようになるのは放送作家として駆け出した後のことでした。
「あるラジオ番組の打ち上げで、僕の話が結構ウケてね」
そのときのディレクターから「ラジオやってみない?」と言われ、RCCラジオの『びしびしばしばしらんらんラジオ(通称“びしばし”)』のパーソナリティーとしてリスナーに声を届け始めました。“一文字弥太郎”の名前はこのときにディレクターが付けたのだとか。
「すでに放送作家の仕事を始めていたので、そことは区別したいという思いはありましたが、どんな名前にするかは、正直なところ本名でなければ何でもよかった。当時はバイリンガルがもてはやされていた時代です。そういう風潮に対するディレクターのアンチテーゼで、横文字を一切使わない名前になったんじゃないかな」
今では馴染みのある一風変わった名前は、こうして生まれたのです。
「本名や顔を一切秘密にしているのは……なんでかなぁ。ラジオだと正体を現さない方がいいと最初に思ったんでしょうね。自己顕示欲もあまり強くないし、できればひっそりと生きていきたいので。でも、隠すほど知りたくなるわけで、ブランディング的には成功したのかも。タクシーの運転手さんには声でときどきバレますけどね(笑)」。
夢のない大学時代と35年続くレギュラー
放送業界では一目置かれる一文字さんですが、実は「自分から望んで始めたことは一つもなかった」とのこと。
「大学に入学して落研(落語研究会)に入ったのですが、これは他の部の勧誘から逃れるためだったし、テレビ局のアルバイトで台本を書き始めたのも人に勧められたから。ラジオパーソナリティーだって自分が志したわけではなく、ディレクターの誘いがなければなってなかったでしょうね」
ラジオパーソナリティーになっていなかったら、果たして一文字さんはどんな人生を歩んでいたのでしょうか。
「正直、分からないですね。僕は中学校時代、失恋をして『努力をしても叶わないものが世の中にはあるんだ』ということを身に染みて経験してから、かなりひねくれた人生を送っていたので(笑)。『これがやりたい!』ということがあまりなくて、大学を卒業するときも夢なんかなかったですね」。
とはいえ、ラジオパーソナリティーとしてデビュー後、かれこれ35年に渡ってレギュラー番組は途切れずに続く一文字さん。
「これは本当にリスナーやスタッフの皆さんのおかげ。ありがたいことですね」
現在はRCCラジオで毎週土曜日の朝7:00から『一文字弥太郎の週末ナチュラリスト朝ナマ!』を担当しています。
「番組内での僕は、作り込むことをしないのでまったくの素の自分。日常生活での失敗もネタにして、ラジオでウケればそれで失敗が救われる感じです。だから、一週間平穏無事なのもある意味困るという(笑)」。
思い出あふれるまち三原
現在は広島市内に住んでいる一文字さんですが、生まれ育った三原には多くの思い出があるそうです。
「糸碕神社から見る海が好きでね。大きなクスノキもあって、これが実はパワースポットなんだそうです。幼い頃は近くの海で獲ってきたニシ貝をお袋がゆでてくれて、待ち針で中身を引っ張り出して食べていました」。
さらに、三原焼きの名店『てっちゃん』にも思い入れが。
「モダン焼きって、実は三原発祥なんですよね。当時から僕らもモダン焼きという名称を使っていて、学校帰りに『てっちゃん』で食べるモダン焼きとスマックは青春の味でした。お金があるときだけスマックを注文してたなぁ」
思い出話は尽きることがありません。
故郷の三原に対して、若い人もお年寄りも住みたくなる街であってほしいと一文字さんは願っています。
「三原でコミュニティを築いてみたい。ラジオじゃなくても何でもいいんですけどね。デジタル化が進む現代の風潮に抗う意味も込めて、アナログな活動を行うクラブがつくりたいな。新しいものをつくって人を呼ぶことが、なかなか大変な時代になってくるのではないかと思うので、今ある古いものを本当に大事にしていきたいですね」。
デジタル化一辺倒の社会に対してのアンチテーゼの意味も込めたのか、一文字さんが最近、番組のリスナーと始めたのが文通です。
「内容を自分の頭を使って考えて、手紙にしたためて封書に切手を貼って投函する。これがいいんです。メールだと早く返信することが美徳とされていますが、あまり考えずに文字を入力して返すのはどうなんだろうかと。考えることを止めてしまうと人間が怠惰になるんじゃないかな」。
しかし、「決してデジタルはダメ、アナログが良いという考えではなくアナログあってこそデジタルの便利さも際立つわけで、どちらも相容れるものだと思いますね。だから、三原に縄文時代のような村をつくるとか、Wi-Fiも一切繋がらない島をつくるとか……やってみたいな」
決めないことが、その発想の源?
一文字さんと話しをしていると、興味深い話やユニークなアイデアがどんどん飛び出してきます。しかし一方で、将来について尋ねると「全く分からない」とのこと。
「今まで何も自分で決めずに生きてきたタイプなので。興味のアンテナが三原に伸びて、導かれれば三原に帰るかもしれないですしね」。
一文字さんと話していると、いつまでも話題が尽きることがありません。次々と湧き出てくる自由な発想や話題は、自身の人生を“自分で決めずに生きてきた”という身軽さと、興味のアンテナを張り続けているからこそ。今回のインタビューで覆面ラジオパーソナリティの素顔が少し見えた気がしました。