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満喫台湾×みはら~ 三原は我が家の原点でした

享受台灣×三原~
三原是我家的起點

(不懂日文也沒關係,下面有中文版,請往下拉唷)
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三原市には約2,000人の外国籍の方が暮らしています。
市公式noteでは、三原で活躍する外国籍の方から見た三原をご紹介します。
沼田東コミュニティーセンターでの講座始め、三原と台湾を繋ぐ様々な活動をされているイーファンさんをご紹介します。
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好久不見,long time no seeあっという間に二か月が経ちそうです。前回は拙い自己紹介にもかかわらず大勢の方々に♡マークを付けて頂き大変嬉しく思います。

「記事を見て改めて三原の良いところに気づくことができた。」「方言、習慣の違いについてのお話が面白かった。」と、たくさんのコメントを頂戴しました。ありがとうございました。私の文章が日本(特に三原)と台湾を繋ぐ架け橋になればと、とてもやりがいを感じました。

今回は前回の自己紹介で触れなかった三原が好きなもう一つの理由を語ろうと思います。なぜ三原と台湾のパイプ役になることにこだわり恩返しがしたいかというと、子どもたちとともにこの土地で育てられたのは言うまでもないことですが、一番大きな理由はおよそ16年前に、この町にある企業が主人と私の架け橋になってくれていたからです。

皆さんは去年(2020年)5月に放送されたNHK日台共同制作ドラマ「路~台湾エクスプレス」を見たことがありますか。波瑠さんと台湾のイケメン俳優、アーロンさんが出演した異国恋愛ドラマですが、原作は吉田修一さんの「路」、台湾新幹線にまつわるお話です。

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波瑠さんの演じるヒロイン春香は台湾新幹線プロジェクトを担当する上司に台湾行きを勧められ、結婚の約束をした彼氏を日本に残して台湾に赴任する決意をしました。春香にとって台湾は初めてではなかったのです。かつてまだ大学生だった春香が台湾旅行をしていたときにアーロンさんが演じる男主人公のエリックに出会い、恋心を抱きました。それから日本に帰国しても気になってはいましたが、連絡が途絶えました。仕事で台湾に赴任してから同僚の林さんと次第に仲良くなり内心を打ち明けたところ林さんはそれに感動しエリックの行方を探すように動いてくれました。やがてエリックと再会し恋に落ちるというロマンスです。また、日本人湾生と台湾人の間の友情と駐在員の寂しい心境も演じられています。配役の素晴らしさもさることながら、時代背景もしっかり調べてあり、春香が台湾に赴く時に搭乗した飛行機の機内放送は「間もなく台湾桃園国際空港に到着します。」ではなく、「間もなく中正国際空港に到着します」とあったので、とても時代感があって懐かしく思いました。

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放送前からずっと楽しみにしていたドラマだったので、私は家族四人でテレビを囲んで一緒に鑑賞しました。コロナ禍で台湾に帰れない子どもたちは案の定、恋愛ドラマの醍醐味を知らず、ひたすら映像の中の「台湾の行ったことのある場所発見と好きな台湾料理探しゲーム」を興奮気味にやっていました。そんな子ども達と,私と主人は違う思いでドラマを見ていました。なぜなら私たちは二人とも、この台湾新幹線プロジェクトに携わった仕事をしていたからです。ドラマのシーンは当時一緒に勤務していたオフィスの様子を彷彿とさせました。運命の聖地でご縁を頂いてから15年の年月を重ね、傍で元気にはしゃぎながらドラマを見ている子ども達二人が、こんなに大きく頼もしく育ってくれたんだと考えると何だか感慨深いものを感じました。

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人生の展開とは分からないものです。彼と知り合った場所は「三原」ではありませんでしたが、新幹線プロジェクトに関わる会社が三原にあったので、「三原」と巡り合えました。当時の三原に海外への技術輸出がなかったら主人が台北事務所に赴くこともなかったし、私との接点もなかっただろうと思うと、運命を感じます。三原は確かに私たちを繋いでくれました。可愛い「台湾新幹線っ子」の二人にも恵まれたことを重ねると、感謝の気持ちでいっぱいです。

それでは、少し当時の思い出話をさせていただこうと思います。主人は台北にあった事務所に派遣され、台湾に一年間半ほど駐在しました。その駐在期間が残りあと半年くらいのところで私が現地の事務所に入社しました。新人の私は、精いっぱいの笑顔で同僚たちに挨拶をしてまわりました。「日本のどこから来られましたか。」という私の問いかけに対して、偶然にも仕事の接点がある方々は上司も含め、ほとんどの皆が口を揃えて「三原から」だと答えました。

2007ペアシティ

その時、私の頭に浮かんだのは大学時代に友人とドライブした二号線沿いでした。ご縁のある地名だなぁと思っていたところ「三原はいい町だよ。日本を代表する企業はたくさんあるし、景色も最高だよ。いつか三原に行く機会があれば、必ずうちの会社にも来てね。」と自分の暮らす町と仕事を誇らしげに語られました。

『そうだよね。国を挙げてのインフラプロジェクトのために、自社の技術を駆使して海外のインフラ事業に役立てようと、みんな一所懸命なんだ。ここで働く台湾人はもちろん、日本人、欧米人、ほかにもアジア諸国の方々、国籍に関係なくこのプロジェクトを成功させようと自分のプライドにかけているんだ。』と大いに感服しました。まだ社会人になって間もなかったので人間が働く本当の意味を、その自信に満ちた表情に教えてもらいました。「都市のインフラを作る仕事は未来を拓くことだ」という信念に触れてから16年が経過した今、台湾では台北から高雄までの日帰り旅行も普通に行けるし、ビジネスマンも簡単に行き来することができます。新幹線輸出プロジェクトは大成功を収めました。三原は決して「景色」だけではありません。日本の最先端技術を世界へ発信できる「高度な人材」も豊富にいます。外国人の私から見るとこれは三原の強みです。もちろん台湾人に「三原」を知っているかと聞くと、知らない人も多いかもしれません。しかし、この事業に携わった三原チームをはじめとする世界各地の企業のおかげで、台湾の人々はより便利な生活ができるようになったことは言うに及ばないし、有難く思っています。

 そのとき私たちの働いていたグローバルな職場は台湾にありながら社内の共通語は日本語と英語でした。OS環境も日本語版と英語版のみで、駐在員のほとんどは中国語ができないため、会社に一歩入るとまるで日本にいるかのようでした。私の「備後弁」も実は三原に来てからではなく、台湾で仕事した時から染まり始めていました。
 
また、そのとき一番幸せだったことは駐在員の誰かが三原に帰省して帰って来ると、必ず三原か広島のお土産を買ってきてくれたことです。食べるのが大好きな私と若い同僚たちは、いつも首を長くして、このご当地限定の品を待っていました。仕事中に観光気分が味わえるのはガイドさん以外、私たちだけでしょう。ですから、当時一緒に働いた台湾の人は、たとえ三原に来たことがなくても、三原の名前を聞いたことがなくても「ゑびす屋のたこせん」と「ヤッサ饅頭」の美味しさがよく分かっています。

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当時の職場は12階にあり、降りるだけで大変だったうえに、事務所の皆さんは現地の言葉が話せないため、昼食のお弁当予約は台湾の言葉ができる私の仕事でした。毎朝10時までに二種類のお弁当のどちらかにチェックを入れてもらうのですが、この二種類を選ぶため、私はかなり知恵を絞らなければなりませんでした。一つは日本人好みのお弁当、一つは台湾人好みのお弁当にしなければなりませんでした。
 
そこで毎日のお弁当の相談や、クレームが入った時の日本人側の対応をしてくれそうな人を探したところ、一番年が近かったので、主人に助けてもらっていました。しかし部署も違い、机もそんなに近くはなかったため、よくこっそり内線で「今日は何がいい?」と聞いているうちに昼ご飯の選択はいつの間にか二人の好みばかりになっていました。当時同じ職場だった皆さん、ごめんなさい。
 
それから半年後、主人が三原に引き揚げることになりました。もともと仕事の接点は全くなかったのですが、なぜか私が彼の仕事を引き継ぐことになりました。今でも神様の導きだと感じています。元の机から引っ越して主人の机になったとき、引き出しの中に使いかけの小さなしょうゆの瓶が置いてあって印象に残りました。「日本人はどこに行っても、自国のしょうゆや調味料を持ち歩く」と昔聞いたことがあり、本当だなあ、と思いました。他にもまだ机には私物が若干残った状態だったので「立つ鳥、跡を濁さず!」と引き継ぎの時に冗談交じりにツッコんだことを覚えています。もしかして彼は不愉快な思いをしていたかもしれません。

宮沖新開2003

あれから16年が経ちました。一度もその時の気持ちを聞かなかったのですが、文化の異なる女性と共に人生を歩んでいく選択をした彼にはきっと人並み以上の包容力があると確信しています。これからもよろしくお願いします。馴れ初めがいいなぁと思ったら♡マークをお願いします。

                         怡芳(イーファン)

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【中国語版】
イーファンさんが台湾の言葉(台湾華語)でも同じ内容の記事を書いてくださいました。
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三原市官方Note
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三原市居住著約2,000名外國人。
在市公所的官方Note上,我們將介紹在三原市活躍的外國人及他們所看到的三原市。她參與了許多連結三原和台灣的活動,其中包含她在沼田東社區活動中心定期舉辦的台灣講座。
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享受台灣×三原~三原是我家的起點

イーファンTop02

大家好,好久不見,long time no see,時光匆匆,很快就過了兩個月。上次由於是第一次寫網路文章,缺乏經驗,文筆不是很好,但還是有許多人不吝給我支持,甚至踴躍地用行動幫我按了♡,在此深深地謝謝大家。

上次的文章一發表,馬上收到了許多朋友的留言,例如:「看了妳寫的文章,讓我再次了解到三原的優點。」「閱讀到文章裡提到的方言與習俗的差異覺得很有意思。」等等,在此再次感謝大家給我的支持與鼓勵,讓我有了繼續寫下去的動力,如果我的作品能成為日本(尤其是三原)和台灣之間的一座橋樑,那麽寫作的努力就沒有白費了。

那麼這次就來談談我喜歡三原的另一個原因吧,我之所以一直堅持想成為三原和台灣之間的連結,不僅僅是因為我和孩子們受惠於這片土地,最大的原因其實是因為在約莫16年前座落在三原這個小鎮上的一間公司率先牽起了我和我先生之間的緣分。

不曉得大家是否看過去年(2020年)5月播出的NHK和台灣公共電視首度攜手合作的日台迷你劇集《路~台灣Express~》呢?這是一部由日本偶像女星波瑠和台灣帥哥男星炎亞綸主演的異國戀愛劇,情節根據吉田修一寫的《路》改編,內容講述因台灣高鐵而重新被牽起的愛情故事。

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波瑠飾演的女主角春香被負責台灣高鐵項目的上司舉薦赴台灣工作,因此她不得不決定暫時離開以結婚為前提交往的日本男友獨自一人搬到台灣。其實她會毅然決定到台灣工作主要也是因為她內心深處一直記掛著大學時代到台灣旅遊時,偶然邂逅的男主角Eric(炎亞綸主演),接到上司委派的台灣新幹線任務而再次來台,在台灣人同事的幫忙下得以和Eric再度重逢的戀愛故事,劇中也穿插了關於日本灣生的故事和外派員的辛酸。劇中除了可欣賞演員精湛的演技之外,劇組還還原了當時的時代背景,例如春香要抵達台灣時,機上廣播並不是「飛機即將抵達台灣桃園國際機場 」,而是「飛機即將抵達中正國際機場」,像這樣充滿時代感的機內廣播等細節部分,劇組人員都認真仔細地交代了,所以邊看腦海邊浮現出那段時間的跑馬燈畫面,真令人懷念啊!

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由於在播出之前就一直很期待這檔戲,所以我和家人當晚就迫不及待地守候在電視機前希望一睹為快。因新冠肺炎的持續延燒導致無法回台的孩子們,想當然爾年紀也還不到能完全理解戀愛劇本中的男女主角所詮釋的曖昧情愫,所以只顧著在劇中找他們曾經「在台灣去過的地方」和曾經「在台灣最喜歡吃的台灣美食」罷了。但相較於兩個孩子,我和他是帶著不同的心情看劇的,因為我們都和女主角一樣曾經參與了這個台灣高鐵工程案。邊看腦海邊浮現當時在台北辦公室的情景,一幕幕道盡千言萬語,無聲勝有聲。在命運的聖地牽起緣分到現在15年了,看著在一旁邊看戲邊開心嘻笑的兩個孩子長這麼大了,心中真是百感交集啊。

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大家都說人生的際遇總是充滿未知的,雖然我遇到他的地方不是在「三原」,但我會與他結識也是因為參與台灣高鐵項目的公司恰巧就在三原。如果當時這間公司沒有把技術輸出到海外,他就不會被派去台北事務所,我也就注定不會與他相遇了。因此,三原這個地方確確實實地把我們串在一起了,同時多年後還添了兩個陪伴我的可愛「台灣新幹線寶貝」,這真是天上掉下來的禮物呢!

接下來說說我們共事的一些回憶吧!當時他被派到台北的辦公室,在台灣總共住了大約一年半,而我在他還剩半年左右就要回日本時進了台北辦公室。那時初來乍到的我忙著和周遭同事打招呼,也問了大家「您是從日本的哪裡來的呢?」碰巧大多數和我在工作上有接觸的人,包括我的上司,都不約而同地回答:「我來自三原。」

2007ペアシティ

一瞬間我腦中閃過的是大學時和朋友一起兜風時經過的國道二號線沿途片段,當我還陷在自己的回憶沒回過神時,他們緊接著自豪地侃侃而談他們住的城市和自己的工作。說道:「三原是個好地方,有很多代表日本的企業,風景又美。如果有一天妳有機會去三原,一定要來我們公司看看啊!」

「果真如此!在辦公室我看到每個人都盡心盡力地在為這項舉國體制的基礎建設項目竭盡所能,努力將公司的技術貢獻在海外的基礎建設事業上。不僅是在這個辦公室工作的台灣人,還有日本人、歐美人和其他亞洲國家的人們,大家不分國籍攜手合作,各自賭上了尊嚴期許讓這次的高鐵項目成功。」 看到這感人的一幕對剛踏入社會的我來說,簡直感覺到熱血沸騰,他們眼裡流露出來的自信、認真與努力直接就告訴了我「人活在這世上就是為了一片理念而工作並對社會付出」,抱持著「從事推動城市基礎建設的工作就是開拓這片土地的未來」這個信念,一轉眼過了16年,現在的台灣,從台北到高雄的一日遊是再稀鬆平常不過的事了,出差的人也可以簡單地來去自如,由此可見日本的新幹線技術輸出可是取得了空前的成功。三原不僅僅有「風景」,還擁有豐富的「高科技人才」能將日本的尖端技術貢獻給全世界。這點在外國人看來,就是三原的強項。當然,許多台灣人也許不清楚三原在哪裡,但是與台灣人日常生活息息相關的高鐵就是三原人的驕傲。多虧世界各地參與這項高鐵工程的企業,當然也包括三原團隊的努力,台灣人現在才能夠過上更便利的日子,在此致上由衷的感謝。

當時,我們的事務所雖在台灣,但公司內部的通用語言是日語和英語,系統的操作環境也只有日文和英文,外派人員大多不會說中文,所以一進公司就感覺身在日本。而我的「備後方言」其實也是在那時開始慢慢習慣與習得的,並不是我來了三原才第一次接觸到的。

猶記得當時最開心的事情莫過於日本同事回三原老家時,總是會帶一些道地的三原或廣島的伴手禮給我們。我和我那幫吃貨的年輕同事每每引頸期盼著這些當地的美食。我想除了導遊以外,再沒有人像我們一樣能邊感受觀光氣氛邊工作的啦!因此,當時與我共事的台灣人,即使沒有來過三原,也沒有聽過三原的名字,卻比任何人都了解 「惠比壽屋TAKOSEN」和「YASSA饅頭」這些來自三原的伴手禮好滋味。 

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當時我的工作地點在12樓,上下班和中餐時間光等個電梯下個樓就很費時,而且外派員大多不諳中文,所以我必須幫忙大家訂午餐。由於每天早上10點前都必須準備兩種便當讓大家訂購,我不得不絞盡腦汁想方設法地去搜尋各式各樣可外送的美味便當店和餐廳,而且一個必須符合日本人的口味,一個必須符合台灣人的口味。

想到自己竟然要負責這個吃力不討好的工作,每天都得煩惱該選什麼便當或是萬一有日本人來和我抱怨時,總得先找一位隊友來幫我神助攻吧,那我想啊想啊,日本人說話向來重視輩份關係,那得找個跟我年齡相仿的,免得萬一忘了說尊敬語或說錯話也比較不會得罪對方,而那個最佳人選就是他。不過我們部門不一樣,辦公桌也不是離那麼近,所以我經常偷偷打內線問他「今天你想吃什麼?」問著問著不知不覺地中餐的選擇就都變成了我和他喜歡吃的了,現在想想還真對不起大家啊。

半年後,他在台北事務所的工作結束回到三原。原本我倆的工作內容是完全不相干的,但不知為何上頭決定讓我去接手他的工作。現在我依然認為當時的因緣際會乃是上帝的指引。當我從原來的辦公桌搬到他的辦公桌準備要交接時,無意間看到了抽屜裡的一小瓶醬油,這一幕讓我印象深刻,記得從前曾聽人說:「日本人無論走到國外的哪裡都會攜帶符合他們自己口味的醬油和調味料」,看到此景不得不承認說的真有道理。除此之外,抽屜裡也還留有一些私人物品,因此我在交接時半開玩笑地對他說了句日本的諺語:「要走的鳥不留污!」意思是提醒人在離去時,應該自己收拾善後,不給別人留麻煩才是,基於友情這樣的嘲諷雖不是有心的,但對聽者來說心裡總是有那麼一點不舒坦吧。

宮沖新開2003

從那時的交接到現在已經16年了,至今我從未問過他當時的感受,但我相信,既然他是一位有勇氣選擇與來自不同文化背景的女性共度下半生的男人,想必絕非凡夫俗子,且內心定有超乎常人的包容力,所以,接下來的路也請你一定要繼續包容我的小脾氣,好嗎?

以上,謝謝大家耐心地看完我們的故事。如果你喜歡我的文章,請記得用行動支持我,幫我按 ♡,謝謝大家!

                             怡芳