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バイオリン製作が導いた、場所、人との出会い。音楽が結びつけた縁を感じて


※この記事は、2019年2月取材時点での情報です


【ものづくり】
三原博志バイオリン工房
三原博志(みはら ひろし)さん 


趣味で始めたバイオリン。

音色に魅了されたことと「昔作られたものが今でも一流品と呼ばれるのはなぜ?」という疑問が、製作の道へと向かわせました。

名古屋で学び、その後本場イタリアで製作の神髄を肌で感じます。

輝かしい受賞実績も得て三原で工房を立ち上げ、音楽好きの人々と出会い、その輪を広げています。

 趣味から始まったバイオリンをなぜ製作するようになったのか、その経緯をお聞きしました

音色に魅了されたバイオリン。素朴な疑問が製作の道へ


「随分思い切ったなと思いますけど」と、自身の経歴を話してくれました

福山で地元の高校を卒業した三原さん。卒業後は、自動車の整備士、通信機器の販売会社などで経験を積み、働きながら音楽教師をしていた叔母のところにバイオリンを習うため通われたそう。

上達するのが楽しく優雅な音色に魅了されたと言います。

バイオリンが好きになるにつれ、そのうち歴史を調べるようになりました。

「すごく昔に作られたものが今でも超一流品と言われ何億円もする。何でだろうって疑問に思ったんです」。

色々と調べましたが納得する回答に出合えません。「正解がないなら、自分にも作れるんじゃないかと」。自身が「思い切った」と口にしたように、仕事を辞め、名古屋にあるバイオリンの製作学校の扉を叩きました。

いつの間にか演奏することから、製作することへと興味が移っていった


 

製作の本場イタリアで学びを得て閑静な三原で工房を構える


これまでも、やってみようと思ったことにはちゅうちょせず飛び込んできた三原さん。

名古屋で2年間学んだ後、製作の本場・イタリアへ。

そこで出会ったのが、バイオリン製作の第一人者と言われるジョルジョ・スコラ―リ氏でした。

学校でたまたま彼が受け持つクラスになった三原さんは、名古屋で学んだ腕を高く評価してもらえたそうです。

授業のみならず、ジョルジョ氏が持つ工房でコンクール用のバイオリン製作に打ち込みました。さらに、装飾バイオリンと呼ばれる手の込んだ細工も学び、数々の賞を取るまでに成長。

「本場で学んだことは大きかったです。音の美しさはもちろん、細工の細やかさ、曲線美、色合いの複雑さ、言ってみれば芸術品なんです。言葉で表現しづらい部分を、肌で感じることができました」。

Pisogne弦楽器製作コンクール、ANLAI弦楽器製作コンクールなどで入賞

 帰国してプロとして歩んでいくにあたり、まず欲しかったのが製作に打ち込める静かな環境。

そこで昔からの知人の紹介で、三原市糸崎町に工房を構えることができました。

念願のバイオリン工房。糸崎町の空家をリフォームした

 

好きなものが繋ぐご縁。音楽を愛する人が増えてほしい


これまで縁のなかった三原の土地ですが、三原さんの活動を聞いて少しずつ音楽好きの人が訪れるようになりました。

バイオリンをしている人がメンテナンスの依頼に来たり、音楽イベントの相談に来たり。

中には、土地勘のない三原さんにおすすめのスーパーや病院を教えてくれる人もいます。

「好きなものが繋いでくれるご縁と言うんでしょうか。ありがたいですね」。

音楽好きな人たちにとっては、本場で楽器製作を学んだ三原さんが心強い存在であるようで、

三原管弦楽団のメンバーや芸術文化センターポポロの関係者と、音楽談議に花を咲かせることもあるそうです。

三原の町にも、もっともっと音楽を愛する人が増えてほしいと話す三原さん

「ポポロは何度か訪れましたが、素晴らしい施設ですね。公演内容も魅力的なものが多いですし、たくさんの人に足を運んでほしい場所です」

三原さんを中心とした人の輪は、これからますます広がっていきます。