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西日本豪雨を乗り越え、古民家をカフェに再生。地域の人が集まる憩いの場所を作りたい


この記事は、2020年2月時点での情報です


【食づくり】
古民家カフェ 四季ふぉーしーずん
部屋陽子(へや ようこ)さん

JR本郷駅近くで長年愛されていた「四季ふぉーしーずん」が、2019年10月に本郷町船木へ移転。実はこちらの古民家、西日本豪雨で被災した建物なんだそうです。幅広い世代の人に気軽に来てもらえるカフェを目指す部屋陽子(へや ようこ)さんに、店を開いたきっかけや地域への思い、今後の夢などをお聞きしました。


「できるかできないかは、やってみないとわからない」

のどかな田園風景が広がる本郷町船木に移転した「四季ふぉーしーずん」趣ある古民家の引き戸を開けると、オーナーの部屋さんが明るい笑顔で迎えてくれました。部屋さんは三原市の隣町、尾道市の出身。結婚し、広島市で暮らした後、転勤により夫の出身地でもある本郷町へやってきました。もともと食べることが好きで、飲食店で働いていた経験もあった部屋さん。本郷町で何をしようかと考えた時、心の中で漠然と思っていた「いつかカフェができたらいいな」という夢に挑戦することにしたそうです。「夫や周りからは、できるわけないと反対されましたが、若い頃に夢をあきらめたことを後悔していたので、今回は絶対にあきらめたくなかったんです。できるかできないかは、やってみないとわからないですし」。時間をかけてご主人を説得し、2008年4月、52歳の時に念願だった自身の店「四季ふぉーしーずん」をオープンしました。

人気のピザ。直径約30cmと大きめだが、クリスピータイプの生地なので、ペロリと食べられる


ピザの行商で苦境を乗り越え、地元の愛されカフェへ

オープンの地に選んだのは、東広島市高屋町でした。三原市周辺で物件を探していく中で、店の前に桜の木があり、川が流れるロケーションに一目惚れ。「四季折々の風景を楽しんで欲しい」との思いを込めて「四季ふぉーしーずん」と名づけました。

この時に作った看板は、店のシンボルとして、その後の移転の際も、ずっと受け継いでいる

春、夏、秋……と移り変わる美しい景色と手作り料理が話題を呼び、店は1年目から多くの人でにぎわいましたが、冬になり雪が積もるとお客さんは激減。リーマンショックも重なり、経営的にかなり厳しい状況になったそうです。そんな時、部屋さんが思いついたのが、自宅のある本郷町へのピザの配達でした。友人・知人に声をかけて、注文を取り、ランチタイムの後に高屋町から本郷町へピザを運ぶ日々。

「まるでピザの行商でした。しんどかったですが、周りから1年も持たないと言われていたので、なにくそ!と頑張れたのかも」と当時を振り返ります。

今や「四季ふぉーしーずん」の名物となった直径30cmの大判ピザ。大きさもトッピングも製法も、当時のままなのだそう

店を始めてから3年半後には、本郷町へ移転。JR本郷駅近くのログハウス風の店は、ピザをはじめ、パンやスイーツも評判で、地元で愛される人気カフェになりました。

「夢って何歳になっても叶えることができるんです!」と部屋さんは目を輝かせます。


被災した日本家屋を再生し、地域の人が集える場所に

2018年7月、広島県に甚大な被害をもたらした西日本豪雨が発生。三原市の沼田川下流では大きな氾濫が起き、本郷地区を中心に約3800棟が浸水しました。部屋さんの自宅も2mほど水に浸かったそうです。自宅の隣にあり、空き家となっていたご主人の実家も同じように浸水。1年後、実家を倒すか直すかとなった時に、ご主人が「倒さずに残したい」と言ったことから、部屋さんは店を実家へ移転することに決めました。とはいえ、鴨居まで泥水に浸かった築70年近い日本家屋は、土壁も畳もボロボロで人が入れる状態ではありません。業者やボランティアの力を借り、室内を片付け、壁や床を張り替え、2019年10月に「古民家カフェ 四季ふぉーしーずん」として生まれ変わりました。

水害の際に泥水浸かった屋内の様子
店内の様子(撮影日:2020年2月28日)

「水害の時に避難所で生活したことで、近所の人と助け合うことの大切さを感じました。ここが地域の人が集まる憩いの場所になればうれしい」と部屋さん。自分も同じ場所で働き続けるのが、今後の夢だそうです。

「杖をつきながらでも店をやりたい。今の形とは変わるかもしれないけれど、その時にできることを、できる範囲で。最後はお茶だけになるかもね(笑)」と屈託のない笑顔で話します。年齢を重ねても夢を持ち続け、前向きに行動する部屋さん。おいしいピザとこの笑顔に会いに本郷町へ行ってみませんか。


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